四季とロマンス

タイBLドラマとクィア・ロマンスのありか

男の子たちは優しい── タイBLドラマにおける、男子たちのフレンドシップとケア(1)

愛すべき「あいつら」について

 タイのYシリーズ(BLドラマ)を夢中に見るようになって1年半くらい経つが、なぜ私はこのジャンルにこれほど惹かれるのだろう。

 改めて考えると、そのいちばんの理由……とまではいかないかもしれないけれど(なんせいろんな魅力がありすぎる)、でもその大部分を占めるのが、主人公カップルを取り巻く友達の存在だと気づいた。

 そう、一緒に学食でだべったり悪ふざけしたり、主人公の恋煩いをときに冷やかしたりもするけれど、最終的にはいつも温かく励まして笑っていてくれる、最高のあいつらのことだ。

 あいつら(と、親しみを込めて呼びたくなる。ごめん)、つまり友人たちの描写こそが、タイのBLドラマをジャンルとして際立たせるひとつの特徴であり、個別の作品を超えたジャンル総体への信頼と愛着を観る者に抱かせるのではないか。

 

f:id:Shiki_to_Romance:20210905202327p:plain

https://www.c7-2gether.com/

 Yシリーズは主人公が大学生であることが圧倒的に多く、学内を舞台にしたドラマには男子の友達グループが頻繁に登場する。有名作から印象的なキャラクターを紹介したい。

 例えば、タイBLドラマを一躍ブームにした『2gether』。主人公カップルの破格の魅力はもちろん、タインとサラワットそれぞれの男子友達グループのやりとりが、本作をいっそう魅力的にしていることは、ファンにとっては周知の事実だろう。

 学校一のイケメン=サラワットに「偽の彼氏」になってもらうという作戦がなかなか思い通りにいかず、なかなか落ち着きのない主人公タイン。学校のベンチでお馴染みの仲間と愚痴っていると、いつも冷静な助言を与えてくれるのが友達グループのひとりフォンだ。その達観した様子から、友人たちに「哲学者フォン様」と呼ばれたりする。

 もうひとりのクール系(に見えて実際はこじらせボーイな)主人公サラワットの横でニヤニヤしているのは、チャラそ〜な2人組マン&ボス。名前(チューレン/呼名)がやたらマッチョなのもあって、「ちょっと男子〜」って突っ込みたくなる感じのデリカシーゼロな雰囲気に最初は警戒心を抱くが、いやいやどうして、めっちゃいいやつやん。サラワットの健気すぎる恋、めっちゃ支えてくれてるやん。コンドームでできたブーケを同棲祝いにプレゼントしてきたりするけど(おい)、決してデリカシーゼロってわけでもなく、大事な場面では主人公たちを茶化したりせずにそっと見守る。物語が進展するとともに、彼らの高感度も爆上がりしていく。

 

 

www.youtube.com

 Yシリーズの金字塔『SOTUS』の友達描写も熱い。本作では、新入生のコングポップ、先輩のアーティットというふたりの恋が実を結ぶまでの展開がゆっくり丁寧に描かれるが、物語の終盤、自身の恋心になかなか素直に慣れないアーティットを動かすきっかけになるのが、友人のノットだ。アーティットは、自分に対して激烈なアプローチを仕掛けてくるコングポップが、「同性で、しかも後輩」であることに、ずっと困惑している。というか、恐れてているように見える。自分も明らかに心が揺さぶられているのに、「男で、先輩」である自意識が邪魔して、そしておそらく周囲の目も気になって、なかなか踏み出せない。ノットは、そんなアーティットの戸惑いを打ち明けられると全面的に受け止め、こなれたアドバイスとは違うけれど、シンプルでまっすぐな言葉で励ます。血の通った印象的なシーンだ(EP.12)。(*1)

 

f:id:Shiki_to_Romance:20210905204314j:plain

https://twitter.com/rakuten_asidra/status/1399961818932654080?s=20

『Theory of Love』特別編。左からサード、カイ、トゥー、ボーン  

 『Theory of Love』のトゥーは、個人的にYシリーズにおける「ベストフレンド賞」。主人公のカイとサード、そしてトゥーとボーンは映画制作を学ぶ男子大学生4人組。通称“ギャングスターズ”と呼ばれ学内でも一目をおかれる、いわば悪友だ。真面目でクールなサードは、女たらしのカイに長らく片思いをしているけれど、「友達」関係を壊したくないからこそ一歩踏み出せずにいる切ない展開。でもやっぱり近づきたくて、特別になりたくて、こじれまくるふたりの関係。傷つきまくってほぼ毎話泣いているサード。そこに優しく寄り添うトゥーの佇まいは、なんだかもう仏のようなありがたさ。トゥーがいなければ間違いなくセオラブ界は崩壊してしまうと断言できるほど、本作のキーパーソンはトゥーなのだ。(ちなみにトゥー役のホワイトさんは、『A Tale of Thousand Stars(1000stars/千星物語)』でも主人公の最高の親友を演じているので、ホワイトさんにこそタイY界の「ベストフレンド賞」を差し上げたい)

 

 上記はいずれもGMM TVの作品だが、他社制作のドラマをあげると、『TharnType ターン タイプ』のテクノーもナイスキャラだし、『My Engineer~華麗なる工学部~』は大学1年生と2年生の2つの友達グループが中心になって、4つのカップル(未満も含む)の物語が同時進行する。『Together with me』はMax × Tul演じるカップルを取り巻く、個性豊かな友達を含めた青春群像劇として見ても面白い(*2)。

 

愛の承認/愛の証人

 Yシリーズの多くの作品で、友達描写が充実しているのはなぜだろうか。

 ひとつは単純に「尺」の問題があるだろう。毎回1時間で全12話ほどのドラマ枠を、主人公カップルだけで起伏ある物語に仕立てるのは大変だし、ふたりの恋が切なくつらい展開を迎えたときも、友達の存在がそこにコメディ要素や笑いを加えて視聴者を和ませてくれる。ラフな言い方になるけれど、視聴者は「男子」の「わちゃわちゃ」を見るのが好き(と制作者が考えている)、っていうのもやっぱりあるのかもしれない。

 そして友人たちも、主人公カプの応援団に止まらず、時に恋のプレーヤーになる。主人公カップルとはまた雰囲気が違うタイプのカップリングが登場することで、ドラマに華やかさが増すし、主人公カプがさほど刺さらなかった視聴者に対しても、また別の萌えの網を広げておくことができる。

 それに、事務所や制作会社が、新人俳優をドラマで試すのにちょうどよいポジションでもあるのだろう。あるドラマの「サブカプ(サブキャラクターのカップル)」が人気を得て、次のドラマで主人公になる、なんていうことも結構ある。

 でもいちばん重要なのは、Yシリーズが温かく優しく楽しいドラマであるために、主人公たちの愛の承認と証人を求めている、ということだろう。それを体現するのが、あいつら、つまり主人公の友達だ。

 

友達グループ=社会の最小単位からの祝福

 多くのドラマに登場する友達像が、「一人の絶対的な親友」ではなく、「友達グループ」であることにも注目したい。それは主人公たちの恋愛が、同性同士であることとやはり無縁ではないだろう。Yシリーズは、例えば『Dark Blue Kiss』のように、現実世界におけるマイノリティの困難を反映し、社会における同性愛へのまなざしに主人公たちが思い悩む姿を意図的に描いたものもあるが、いっぽうでそういった描写にあまり力点を置かない作品も多い。恋愛モノにおける障壁という装置として「男同士」が持ち出されず、同性を好きなこと自体はすんなり周囲に受け入れられる世界は、溝口彰子氏が提唱した「進化系BL」(*3)の流れを汲むものだとも言えるだろう。

 でも、「結果的にすんなり周囲に受け入れられる」からといって、主人公が「同性同士」であることを気にしない、というわけではない。

f:id:Shiki_to_Romance:20210905205418j:plain

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9/dp/B08YS1DMRG

『SOTUS』冒頭、めちゃくちゃ感じの悪い集団として登場するパイセンたち

 『SOTUS』のアーティット先輩のように、散々逡巡する場合もある。そしてやっと自分の恋に素直になり、それを周囲に打ち明けるというアクションの「結果」として、「すんなり周囲に受け入れられる」というターンが待っている。

 彼は自分の恋が周囲からどう思われるか、気にしたり、怯えたりする必要なんてなかったのだ。だって、そこには後ろ暗さなんて何もないし、マイノリティだからといって差別されるいわれもないのだから。「すんなり周囲に受け入れられる」どころか、その恋は世界から祝福されている。その承認と受容を描くためには、「一人の親友」の理解では足りず、まだ学生である主人公たちにとって社会の最小単位である「友達グループ」からの祝福が必要なのだ。

 

(つづく)

※初めてで長くなってしまいました。
読んでくださった方、どうもありがとうございます! 
もしシェア、ブックマーク、いいなしてくださったらとっても励みになります🙏🙏
次は『I Told Sunset About You』『I Promise You The Moon』について主に書く予定です。

 

*1──アーティット先輩が仲間たちとワイワイわちゃわちゃしているのと比べ、”激攻め”コングポップは男友達に一貫して塩対応なのが笑える。彼は悩んだり寂しかったりしても男友達に頼らないし、女子の同級生にはそつなくジェントルマンな振る舞いをするのに、昔からの親友エムに対してはけっこう手厳しい。片思いしているエムにあんまり優しい共感をみせず、なんでもっとアピールしないんだ?と強めに責める始末(『SOTUS S』EP.1)。こういう描写は「完璧人間」のように周囲から見做されているコングポップが、じつはかなり極端で偏った性格であり、アーティット先輩以外のことはぶっちゃけ眼中にないというキャラクター性が表れていて面白い。とはいえ、「女子には優しい」のは、ある意味女子を対等な存在だとみなしてないとも取れるし、やっぱりちょっと精神的にマッチョにも思える。本作でたびたび表面化する、やや古臭いジェンダー観の一端であるようにも思う。(そのコングポップのマッチョさこそがアーティット先輩を開花させるので、複雑なんですが…。そのことについてもまた書きたい)

*2──今回は男友達に絞って書いているが、Yシリーズには時々、最高の女友達も登場する。『Together with me』は、イワーとファイがやかましくやいやい言っているシーンが個人的には大好き。『Dark Blue Kiss』のサンディー、『My Engineer』のティンティンも最高(強めの女子が好み)。『I Told Sunset About You』のターンも重要な役どころ。

*3──溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』2015年、太田出版

こちらも参考:「BLが廃れるときは来るのか? 溝口彰子氏が語る「イケメン同士の恋愛」を描く先にあるもの」「サイゾーウーマン」(2018/02/17)

https://www.cyzowoman.com/2018/02/post_173383_1.html

「「2000年代には、同性愛者である主人公たちの幸福を願う作家たちの想像力によって、まだ実現されていないゲイ・フレンドリーな人々や社会が描かれる作品群が出てきます。それらの作品の中では、同性愛者のセクシュアリティを否定、揶揄することが受け入れられない社会が到来しているのです」/性の多様性の実現とジェンダー格差の解消に向かうヒントを与えてくれるBL作品を、溝口氏は「進化形BL」と名付けた。実社会よりも性の多様性に寛容な社会、いわば進化を先取りした世界が描かれている、というわけだ。」